なぜオーディオ好きは変な目で見られるのか

 その昔、オーディオはごくまっとうな趣味だった。オーディオ機器は高嶺の花であり、若者の憧れだった。しかし、多くの娯楽にあふれる現代では、家の中だけで楽しみ、人間関係を必要としないオーディオは、オタク、ネクラな趣味といったイメージがある。

 

 オーディオ雑誌はそんな趣味人にとって唯一の情報源である。一日中家の中に閉じこもり、音楽を聴きながらひたすら雑誌を読みふけり、高価な海外製コンポにあこがれを抱き「どんな音がするだろう」と想像を巡らす。
 基本的に他人がどんな楽しみ方をしようが自由であり、これをどうこう言う資格は誰にもないのだが、オーディオという趣味には妙なところがある。

 オーディオ雑誌の評論や視聴記事にはおかしなものが多く、オーディオの世界でまかり通っている常識や概念は、間違いだらけである。そういった常識や概念は、工学的知識に乏しい評論家や編集者が作り出したものだ。それはまるで、宗教に似ている。
 オーディオ雑誌を読み続け、その世界に浸かっていると、そのような宗教にも似た世界に染まってしまい、常識的な判断が出来なくなることがあるようだ。その様子が、他人から変に見えるのである。

 

 例えば、オーディオ機器にに興味を持ち始めた当初、「ケーブルで音が変わる」などという話は、誰もが半信半疑だったはずだ。ところが、雑誌を読むとケーブルの比較記事が載っており、あたかも音に違いがあるかのようなレポートが記載されている。また、ネットの掲示板を見れば「ケーブルを換えたらこんなに音が変わった」などというレビューを多く見ることができる。

 そんな記事を目にしているうちに、自分の考えが間違っていたのだと錯覚し、ケーブルによって音が変わるのが常識だと思いこんでしまうようである。

 実際、ケーブルを換えて音が変わるのは事実だが、その変化は他人が論評するほど大きくはない。オーディオ用に吟味されたものであれば、その変化はきわめて微妙であるか、人間の聴感ではまったく区別が付かないかの、いずれかというのが本当のところだ。

 

 例えば、スピーカーケーブルの場合、一般にアンプの出力インピーダンスが非常に小さいことから、導体やシースの材料、構成等はほとんど関係せず、ケーブルのインピーダンス(≒直流抵抗)と、端子の接触抵抗の2つによって音は決定される。それは、インピーダンスの上昇(ダンピングファクターの劣化)がスピーカの周波数特性に影響を及ぼすからであり、人間の聴感でも十分わかるほど大きな変化になる。

 しかしその影響も、ケーブルのインピーダンスが35ミリオーム以下になると、人間の聴感ではわからないレベルになる。そうなると、他の要素、例えば導体やシースの材料、構成等による音の影響が台頭してくるが、それらは可聴域を遙かに越えた高周波の話であり、とうてい人間が感知できるレベルではない。しかし世の中には、そこで音が変わると主張する人たちがいる。35ミリオーム以下の世界は、宗教が支配しているようだ。

 

 雑誌の比較視聴記事やそれを模倣したマニアの視聴リポートは、実験方法や評価の仕方に問題があって、本当にその音の変化を評価しているとは言い難いものがほとんどである。スピーカーケーブルの場合、そのほとんどが、インピーダンスと接触抵抗の差を聞いているに過ぎないと、私は見ている。

 

 世の中にはとんでもなく高価なケーブルがある。そんな商品を見て、「高い投資の見返りは、あるのだろうか?」そんな疑問をお持ちの方も多いと思う。当サイトは、こういったオーディオにまつわる様々な疑問に対し、理屈面から考察していくつもりだ。

 これまで、オーディオに対して理論的考察をした人は、「オーディオマニアが頼りにする本」の著者を除き、ほとんどいなかった。宗教の支配が強い世界で、異論を唱えるのには勇気がいる。ガリレイは、天動説が常識と言われる世の中で地動説を主張して宗教裁判にかけられた。

 感覚派の人は、理論先行のやり方に否定的な人もいるかもしれない。しかし、オーディオの世界は感覚的評価ばかりが先行し、理論的考察がほとんどない状態が続いてきた。理論的考察がなければ、宗教が蔓延し、オーティオの進歩は停滞して、多くの人が、高額なお布施を支払い続けることになってしまう。感覚的評価に理論的考察が加われば、新しい世界が開け、進歩につながると、私は確信している。

 

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