日本で販売されているレクサスが世間で批判を浴びている。今回は、その理由について考えてみた。
レクサスの戦略
レクサスが冷ややかな目で見られるのは、次のようなメーカの姿勢を感じるからだと思う。
“品質は世界一、性能はライバルより上とする。
原価を安く押さえ、コストのかからない「サービス」「おもてなし」にプレミアムをつける。
レクサスの品質は、下請けの工場や部品メーカを努力させれば最小のコストアップで実現可能。
そういう車を作り続けていれば、そのうちブランドが定着するだろう。”
高級車を求める顧客は、自分の社会的な立場を周囲にアピールしたい。そのために必要なのは、社会的地位や身分の象徴となる「ステイタス」。その中身に、尊大に見える外観、暴力的な性能、庶民には手の届かない価格がある。
レクサスこのような価値観とズレている。「故障しない」「燃費がいい」「サービス」「おもてなし」「心」といったものに重点を置いているようだ。
量産できる高級車でプレミアムを演出できるか
トヨタは高品質と低コストを高い次元で両立できる。しかし「高品質で安い」という特性は、買った人を「トクした気分」にさせるだけで、高級車とは意識させない。
理由は、買う人の身になって考えればわかる。徹底した合理化とコストダウンから生まれた「お買い得」な高級車では、ステイタスにならないからだ。
日本でブランドを確立したいのであれば、少量生産したものを限定販売することから始めるべきではないか。数が少なければそれだけで「プレミアム」になる。
その逆でプレミアムを演出するのは無理だ。「安く量産して高く売る」では、積極的に欲しいとは思わせないし、買った人が得るステイタスはせいぜい「割高な商品にお金を払える小金持ち」まで。低所得の人が無理して買えば、それこそ「馬鹿」に見えてしまう。
日本人に真の高級車は作れるか
「高級」をうたう商品には、通常高い付加価値(プレミアム)が付随する。日本から世界に発信する「高級」があるとしたら、それは「日本文化を取り入れた物作り」にあるのではないか。
日本文化というと、和室や工芸品を想像するかもしれないが、そうではない。和室や工芸品などを作るときに駆使された、「繊細で細やかな物作りの技法・感性」のことをいう。
高級商品のプレミアムは、素人が一目で見て職人技がわかるような、視覚的特性から生まれるもの。このようなデザインを「高度な感性と技能を持った職人が、手間暇を惜しまない」で作る。そんな作り方をすれば当然コストは上昇するし、量産もできない。
しかし、その価値は、皆が認めるだろう。このようなクルマには、「所有する喜び」と「ステイタス」がある。手間暇かけて「本物」を妥協せずに作る。そういうクルマ作りが、ブランドの基礎になるはずだ。
これをやったらブランドイメージは一瞬で消える
ブランドイメージは、手間暇かけて「本物」をつくることで形成される。そのためには、合理的手法で作られた大衆車とキッチリ切り分けしなければならない。
ブランドイメージを一瞬で消失させる、絶対してはならないことがある。それは、大衆車のプラットフォームを流用してレクサスを作る、今までトヨタブランドで売っていた車をレクサスブランドに転用して売る、の2点。
これをやると、「結局ベースは大衆車か」「高い値付けは何なのか」となってしまう。
それでもトヨタブランドの車種をレクサスに転用するのは「それが一番コストがかからないから」ということかもしれない。
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