熱伝導率の数字が高いほど、よく冷えると思って選ぶ人が多いようだ。そんなグリスを使ってみて、次の経験をしたことは無いだろうか。
「硬くて塗りにくい」「クーラーが固着して剥がれない」
「クーラーを外したら粉になっていた・・」
熱伝導率の高いグリスは元々粉っぽいものが多く、ヘラで薄く塗り延ばせない。ある薄さになるとCPUから剥がれてしまう。「グリスは薄塗りせよ」といわれるが、それができない。「熱伝導率が高くても薄塗りできないなら意味ないのでは?」「本当にこれでいいのだろうか」そんな疑問を持つ人もいると思う。
そもそも、インテルのCPUはクーラーとの合わせ面が隙間になるので薄塗りは不可能。このことは、意外に知られていない。
インテルのCPUはクーラーとの合わせ面が隙間になる
写真はインテルのCPUをマザーに取り付けた状態で灯油を滴下し、ガラス板を置いてみたところ。灯油が左右に分かれている様子から、中央付近がたわんで隙間になっている。これはCPU押サエ(上下に見えるツメ)によってCPUの上面(ヒートスプレッダ)がたわんでしまった為だ。
この隙間は純正クーラーを取付た状態で8~10ミクロンある(厚みが既知のビニールを挟んで確認)。
CPUの押サエを外すと、CPUの上面が完全な平面に復元する。CPUの上面がたわんでしまってはグリスの薄塗りができず、高性能なクーラーもその性能を生かせない。
グリスは冷却にどのくらい影響するのか
CPUの冷却はグリスだけでは決まらない。これを知るには、「熱抵抗」を知る必要がある。物体の熱抵抗は次の式で表され、この計算値が小さいほどよく冷える。
熱抵抗=厚み /(面積 × 熱伝導率)(K/W) (式1)
熱伝導率以外にも、厚みと面積が関係することがわかる。
CPUの冷却性能は、CPUの熱抵抗+グリスの熱抵抗+クーラーの熱抵抗 の「合計」で決まる。この中でグリスはどのくらい冷却に関係しているのだろう。無駄な買い物をしない為には、それぞれの比率を知る必要がある。
例として、インテルのBOX商品を想定したときの熱抵抗を計算してみた。わかりやすいように比率で表した※ 。
CPU : グリス : クーラー= 20: 5 : 34 (合計 59)
※:結果は厚み1mmの銅(ヒートスプレッダ)を基準とした比率。クーラーはリテールクーラー(0.214K/W)を使用。グリスはプレコートされたグリスをそのまま使うものとして 4W/m・K (50um)と仮定した。最近のCPUではダイとヒートスプレッダの間にグリスがある。ここも同じグリスを仮定しヒートスプレッダに対する面積比を1/4とした。
この仮定のグリスの熱伝導率は 4W/m・K。世の中にはもっと熱伝導率のいいグリスがあるが、これ以上グリスの熱抵抗を下げても、他が大きいので合計にあまり影響しないことがわかる。このことから、
リテールクーラーの場合、グリスの熱伝導率は 4W/m・K で十分、という結論を得る。
インテルのリテールクーラーにはグリスがプレコートされている。厚みは0.1mm(100ミクロン)以上ある。最初気になったが、隙間が出来ること考慮した結果かもしれない。
インテルのCPUは付属のクーラーとセットで問題なく動作するよう設計されている。普通はこれをそのまま使えば問題ない。
グリスは経時劣化する
「一度塗ったグリスの性能は、変わらない」
ほとんどの人はこの前提でグリスを使う。ネットにはCPUにいろんなグリスを塗って温度を測り「こんなに冷えました」といった比較記事をみかける。グリスの性能が塗った後も変わらないなら、このような記事は参考になる。
クーラーを外したら、グリスが枯れていた(固まっていた)場合、グリスの性能は、塗った後で変わってしまうと考えなければならない。
グリスが固まると性能がどう変わるのか
(2017/11追記)
グリス枯れの要因を細かく分けると、「ポンプアウト」「基油抜け」「固化」「たれ落ち」があり、いずれも熱抵抗の上昇に繋がることが知られている[3]。
グリスが劣化すると熱抵抗が上昇するが、温度に表れるとは限らない。このことは、上記の熱抵抗比の計算例からわかる。リテールクーラーを使った熱抵抗比の合計は59で、うちグリスは5だった。グリスが劣化して熱抵抗が50%増えたとしても、合計値には4%しか影響しない。これは1℃の温度差にもならない。
つまりリテールクーラーを使った低負荷の用途では、劣化したグリスを塗り替えても変わらないし、固化したまま使い続けても問題にならないことが多い。これはみなさんの過去の経験で実証されている。
グリスの劣化(熱抵抗の安定性)が問題になるのは、長期間高い信頼性が要求される用途(パワー素子やサーバーなど)や、高い冷却が求められるゲーミング用途になる。
劣化しないグリスの候補
劣化の心配がない信頼性の高いグリスは信越シリコーン、東レ・ダウコーニングなどが作っている。どちらも厳しい試験を経て耐久性や信頼性を検証されたもの[1][2]。その中から、DOS/V自作向けに使えそうな候補をまとめてみた。
表1.放熱用グリスの候補(2017/1現在)
メーカー | 品番 | 粘度(Pa・s 25℃) | 熱伝導率(W/m・K) | 備考 |
信越 | X-23-7868-2D | 100 | 6.2 | 溶剤形 |
信越 | G-751 | 420 | 4.5 | |
信越 | KS-609 | 70 | 0.73 | 耐熱(+200℃) |
東レ・ダウ | TC-5022 | 82 | 4.0 | 廃番予定品 |
東レ・ダウ | TC-5622 | 95 | 4.3 | |
東レ・ダウ | TC-5026 | 76 | 2.9 | 低熱抵抗タイプ |
最も熱伝導率の高いX-23-7868-2Dは溶剤形。粘度を下げる為2.5%程度の溶剤を含む。このタイプを注射器のような容器に入れておくと徐々に揮発して固くなる。保管が効かないため、たまにしかグリスを使わない自作に向かない。
他は無溶剤形で、長期保管しても固くなるなどの心配がない。無溶剤形では4.5W/m・Kあたりが技術的上限なのか、これより高いものが見当たらない。銀や銅の粉末を入れたグリスも見当たらない。このような金属の粉末はトラブルのもと。信頼性が求められる業務用では決して使われないもの。エンドユーザーをターゲットに作られた商品とみられる。
クーラー圧着後の厚み(BLT)は商品によって違う。写真はTC-5022(82Pa・s)を塗ってから外してみたところ。クーラー側の残留物の厚みは50~100ミクロン。これならヒートスプレッダが少々たわんでも影響しない。TC-5026を使うと同じ面圧下でTC-5022より熱抵抗を半分にできるという[2]。
高熱伝導率をうたうグリスの落とし穴
CPU放熱グリスと称する商品は多いが、そのほとんどが何処かの商品を小分けしたもの。熱伝導率4.5W/m・K超える商品は、溶剤で希釈されているか、粉っぽくて密着性に劣る商品が多いようだ。
出何処のはっきりしないグリスを使うくらいなら、リテールクーラーにプレコートされたグリスをそのまま使った方が良いかもしれない。
実験
表1のグリスにBON BOND を加えて物性を比較してみた。
写真は入手したグリスの一部。
一番右の「BON BOND」はDOS/V自作の黎明期に流通していた商品。チューブの裏にスペックが書いてあり0.9W/m・k、-100℃~+200℃。IGBTなどの高温パワーデバイス用らしい。
注射器に入ったものはピストンのゴムが固着していることが多い。これはゴムにシリコンオイルが染み込んで膨潤した結果。使う前にいったん反対側に引っ張ることでスムースに動くようになる。
(1)潰れ
出来るだけ量を揃えて塗布しところへカバーガラスを乗せ、30gの錘( 約1N/cm2)を載せて潰れ終わるまで静置したもの。薄く潰れるものほど大きく広がる。
面圧と潰れの関係を正確に測るのは難しいが、潰れた後の厚みは広がり(直径)と比例関係にあると考えこれを測定。塗布量のばらつきが管理できないが、実験回数を増やすことで対応。
X-23-7866-2D(上2つ)は溶剤形なので乾燥前後で固さが変わる。左が乾燥前、右は十分乾燥させたもの(21℃)。
T-C5622(下2つ)はTC-5022の後継品とみられる。潰れやすさが大きく改善されている。
(2)塗りやすさ
ヘラで薄塗りした結果。白グリス(KS609とBON BOND)は問題ないが、他は剥がれてしまい塗り伸ばしができない。
白グリス以外は基本的に潰して使う形になる。
続けて180℃10分加熱したもの。X-23-7868-2Dは、ほとんどブリードしない。
(4)密着性
グリスの密着性と基材の細かさは、スティックで掬いあげた様子から伺える。
左はTC-5026、右はX-23-7868-2D(15℃)。
TC-5026とTC-5622は共にネットリしていて長い糸を引く。糸を引く長さが長いほど、表面にツヤがあるものほど、基材の粒子が細かくて密着性に優れる傾向がある。
実験のまとめ
表2.放熱グリスの実験結果
メーカー | 品番 | 潰れ後の厚み | 塗伸し | 耐ブリード (熱流失) |
密着性 | 熱伝導率 (W/m・K) |
熱抵抗比 |
信越 | X-23-7868-2D | 2.2 (乾燥後4.4) |
× | ◎ | ○ | 6.2 | 1.4 (2.8) |
信越 | G-751 | 2.5 | × | ○ | ○ | 4.5 | 2.2 |
信越 | KS-609 | 1.5 | ◎ | △ | ○ | 0.75 | 8.2 |
東レ・ダウ | TC-5022 | 2.0 | × | ○ | △ | 4.0 | 2.0 |
東レ・ダウ | TC-5622 | 1.2 | × | ○ | ◎ | 4.3 | 1.1 |
東レ・ダウ | TC-5026 | 1.0 | × | ○ | ◎ | 2.9 | 1.4 |
SUNNICO | BON BOND | 1.5 | ◎ | × | △ | 0.9 | 6.8 |
インテル | プレコートグリス | 5(推定) | – | – | – | 4(推定) | 5 |
「潰れ後の厚み」はTC-5026を1としたときの比率。「熱抵抗比」はCPUの放熱グリスに使ったときの推定値(ヒートスプレッダを1としたときの比率)。この値が1に近いものほど理想。
熱伝導はX-23-7868-2Dが最高だが、熱抵抗ではTC-5622がベスト。潰れ後の厚みを考慮すると、必ずしも 熱伝導率が高い=よく冷える でないことがわかる。
良く潰れ熱抵抗の安定性に優れる[3] TC-5026は、放熱より安定性が重視されるサーバー用途に適する。
塗り方
白グリス以外はクーラーで押し潰す。硬いグリスの場合は全体均等盛りや、真ん中1点盛りよりも、潰した時に線同士が丁度くっつく量で「三」と書く方が薄くムラなく仕上がる。
潰したグリスはクーラーの当たり面全体に広がる必要がある。これは外のはみ出しで確認できる。
硬いグリスほど潰れにくい(広がらない)ので塗布が難しくなる。写真のG-751(上から2番目)は量が不足している。
結論
結局CPU放熱グリスは次を選べばいい。
冷却重視 東レ・ダウコーニング TC-5622 (一般ユーザー or OCなどで特に放熱を重視したい人)
安定性重視 東レ・ダウコーニング TC-5026 (放熱より信頼性、安定性を重視したい人)
TC-5622の初期性能はすべての市販グリスを上回るわけではないが、長期的な性能はほとんどの市販品を上回る可能性がある。TC-5026は何年もCPUを交換しないサーバーやNASなどに最適だ。
(どちらも入手しずらいので、小分け販売することにしました。興味のある方は こちら をご参照ください。)
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<参考文献>
1.グリース・オイルコンパウンド 信越シリコーン
2.放熱用シリコーン 東レ・ダウコーニング(リンク切れ)
3.熱伝導性グリースの信頼性評価技術 三菱電機技報 2013年8月号
ご注意:本記事を参考にした場合は、必ず出典を明記してください。ルールはこちらをご参照ください。